日常

母方のじいちゃんが亡くなった話。

大好きなおじいちゃんが亡くなり、いろいろ考えることがあったので、ここに書き留めておきます。

家族を大切にできる自分でありたい今日の日この頃です。

じいちゃんが亡くなった日

ある日の13時、母からのライン。

「じいちゃん、危篤。実家に帰る準備しておいて。」

この文章を見た私は、危篤か〜、帰る準備か〜なんて呑気なもので。

と、いうのも2日前に症状が回復してきていて、今の病院を転院する話が出ていたからだった。

ただ、一応、危篤という言葉を調べてみると、医者がもう回復の見込みのないときに使う言葉だと書いてあり、あれ、これはもしかしてもしかするかも、と思い母に電話をかけたが出ない。

病室にいるとのこと。

状況を聞くと、酸素をやっていると。

そして、もう少ししたら苦しくないように麻酔をするのだと。

その状況を聞いて、ようやくもうお別れなのだと気がつく事ができた。

涙が出てきた。

少しして母が気を利かせて電話をしてくれた。

電話口の向こうでは、酸素の音なのか、じいちゃんの声なのか、何らかの音が聞こえてきて、これはじいちゃん?と母に聞くと。うん。じいちゃん喋ってるとのこと。

そして、電話を代わってもらった。〇〇(自分の名前)だよ、というと、酸素の吸入をやっているから、はっきりとした発語は聞こえないものの、私だとわかってくれているような応対をしてくれた。

正直、なんて言っていいか言葉が出てこなくて、「じいちゃん、ありがとうね」ってシンプルな2語だけを伝えた。

じいちゃんは何やらお金の心配をしているみたい。最後までお金の心配をかける孫なんて情けないよね。本当に。

そしてその電話の後急いで、荷物を準備して、バスで地元に向かった。

「今出発。じいちゃんの状況どう?」と父と母にそれぞれラインを入れた。

出発から1時間くらいして、ラインを確認すると、既読がついているのに返信が返ってこない。

もしかして。

「なぜ返信ないのでしょうか」と母にラインすると、「じいちゃん亡くなりました。」と。

バスの中なのに涙が溢れて、鼻水だらだらで。

パーキングエリアまで、しとしとと泣いていた。

あーもう会えないのかーとか、昔の思い出が思い出されて、悲しくなってしまった。

パーキングエリアで、鼻水を思いっきりかんで、少しスッキリした。

Amazonプライムでおくりびとを見ながら、地元に帰った。

地元につくと母が駅前まで迎えにきてくれて、じいちゃんの家に向かった。

じいちゃんの家につくと、父とおばあちゃんは葬儀屋さんと葬儀についての打ち合わせをしていた。

見積もりだと、計60万くらい。

飲み物などについて多めに見積もっているとは言え、結構お金がかかるのだなと感じた。

お母さんが、前もって19万円積み立てていたから、そこから19万引かれた金額の支払いになるらしいけど。

その19万は20年前にじいちゃんが一度危なくなったときに積み立てたお金らしい。

打ち合わせが終わると、じいちゃんが寝ていた仏壇のある畳の部屋にいるのが見えた。

じいちゃんを目の前にすると、涙が溢れてきた。

なんて言ったって幼い頃たくさん遊んでもらったから。

今までたくさんお世話になってきたから。

少し経って落ち着いて、じいちゃんの顔見るか?と父が言うので、うん。と言って布を取ってもらうと、口元がだいぶ落ち込んだじいちゃんの顔が現れた。

あー本当に歯がなかったんだねーなんて。

そしてその日は、じいちゃんの家に泊まった。

夢に出てきてくれないかなーなんて思いながらね。

祖父が亡くなった次の日

じいちゃんが亡くなった、次の次の日がお通夜で、お通夜の次の日がお葬式というスケジュールだった。

私は喪服を持っていなかったので、午前中は喪服を買いに行くことにした。

喪服を買い、昼ごはんを買ってもう一度ばあちゃんの家に行って、お昼をばあちゃんと一緒に食べた。

お昼にじいちゃんの弟さんから電話がかかってきて、ばあちゃんが、「父さん(じいちゃん)のポケットに手紙が入っていて、〇〇(私のお父さん)さんに〇〇(ばあちゃん)を頼む。なんて書いてあったもんだから泣けてきちゃってね」と急にぶっ込んでくるもんだから、弁当食べながら母と私はしくしく泣いた。

納棺、お通夜の日

12時ごろにじいちゃんが家から葬儀場に運ばれ、12時半ごろ納棺だった。

11時半くらいにじいちゃんの家について、12時ごろ出発した。

周りの人にバレないように手早くとのことでやっていたみたいで、運ぶ人はすごく急いでくれたんだけど、電灯の紐がメガネに引っかかってしまって、あ!ってなってるのを見て少しわらけてきてしまった。

それでも直ぐに運び出され車に乗り込み、葬式場に向かった。

12時半から納棺だった。

女性の納棺師の方が担当してくれた。

おくりびとを見ていたから、本当にそのままだなぁと感心してしまった。

落ち込んだ口元も、ワタを詰めて自然な感じを出してくれた。

髪型は、どうなさいますか?ときかれ、父と母が、普通な感じでと言ってセットをしてもらった。

後から見るとJ Yパークみたいになってて、少し笑った。

あとは、納棺の時に、おばあちゃん、お父さん、お母さんは、椅子に座っていたのに、私と妹はなぜか正座をしていた。

納棺というのは30分ほどあり案外長い。

正直途中で足が壊死するかと思った。

顔を拭いたり、手紙などを入れたりするときに、席を立つのだが、私と妹は足が痺れてかなり不審な動きをしていた。

納棺後妹と、「正座するのはやめよう」と二人で顔を見合わせた。

17時からお通夜だった。

焼香をあげて、お坊さんの念仏を聞いて、説教を聞いた。

お釈迦様の物語で、少し面白かった。私たちは、運命ではなく、縁起なのだと。生かされているのだと。興味深かった。

そして、巻き寿司をみんなで食べて、その夜は、葬儀場に泊まった。

お葬式、火葬

3時前に一度目が覚めたが、もう一回寝た。

すると、左足をトントンと叩かれて、「〇〇(私の名前)、線香だけど、パパとばあちゃんに任せっきりにしないんだよ。」と言われた。

間違いなくじいちゃんだった。そしてじいちゃんは、「じゃあね」と言って、棺のある方で歩いて行った。

私は「じいちゃんじゃあね、ありがとうね」、と手を伸ばしながら、少し怖いと思ってしまったのか、少し叫んだような気がする。

うん、嬉しさ半分怖さ半分って感じだったね。

そして目を覚ますと朝の4時ごろで、ばあちゃんに「〇〇(私の名前)起きたの?」と言われて、「うん。」と言いながら仏壇の前に行き、ちょうど燃え尽きそうなろうそくを変えた。

線香をあげた。

お別れを言いにきてくれたんだなぁと思うとしみじみ泣けてきた。

朝食をとり、10時から葬儀だった。

焼香をあげて、念仏を聞いた。

念仏の意味はよく分からないけど、最後にこれだけ大切に見送ってもらえるのはとても幸せなことなんだろうなんて考えていた。

会場でかかっていた曲が変わり、「最後のお別れです」という司会のアナウンスがあった。

棺を閉めるみたいだ。

身内がなくなった初めてのお葬式だったから、流れが掴めなくて、あまり実感がわかなかったけれども、式場の人がお花を用意していて、棺に入れてください。といった。

そういうものなのか。なんて思っていたら、ばあちゃん、お父さん、お母さんが涙しているではないか。

あ。これで本当に最後なんだって、じいちゃんの顔を見れるのは今が最後なんだって。

今まで一度も泣いている姿を見たことのないお父さんが泣いている姿を見て確信した。

花を敷き詰めていると、涙が出てきた。

そして、出棺。

棺が運び出される背後について式場を後にした。

そして、火葬場についた。

棺が竈門に入っていくのを見た。

2時間ほどかかるらしい。

そして、待合室で、お弁当を食べた。

2時間後、アナウンスがかかり呼び出された。お骨ひろいだ。

骨になった爺ちゃんは、結構しっかりした骨になっていた。

とても拾いやすかった。

全て拾い終わった後に、棺に入れた十円を探した。

というのも式場の人が、棺に十円を入れて、焼いて、お骨拾いの時に回収して、お守りにできるのだといっていたので、家族一枚ずつ棺に十円を入れていたのだ。

ところが、一枚も残っていなかった。

燃えてしまったらしい。

まぁ爺ちゃんが三途の川を渡るのに持っていったってことでよしとしようとなった。

考えたこと

人はいつか死ぬのだということ

祖父は思ったよりも急になくなった。

2日前までは、回復していたのに。

これは、私たちも例外ではない。

事故などで急に死んでしまうことだってあるかもしれない。

人生は有限だ。

1日1日大切に生きることの大切さを改めて感じた。

そして、1日1日自分が本当にやりたいことを実現できるように生きることが大切だと実感した。

自分が歳を取れば、親や祖父母も歳をとる

若いうちは、あっという間に時間が過ぎ、つい目の前の事で手一杯になってしまう。

小学校の頃まではよく話したり、遊んだりした祖父母や親とも、中学以降は、友達と遊んだり、勉強や部活動に励む時間が増え、なかなか話したりする機会が減ってくる。

大学生になり親元を離れる(特に田舎から都会にすむ)と、遊んだり、バイトをするのが楽しくて家に帰るのは、せいぜい年に1、2回。

例外なく私も、部活動が忙しく、年末年始しか帰省することができなかったり、お金が欲しくてバイトすると言って年末年始に帰らないこともあった。

しかし、お金の勉強会で知り合った40歳すぎの方が、自分が歳をとると、親も歳をとる。だから、親が元気なうちにたくさん親孝行したいんだ。だから、自分の将来設計の横に親の年齢の年表もつけているという話をしてくださり、かなり心に響いた。

現に祖父母はもう80歳後半、平均寿命あたりの年齢に来ていた。

そこから、できる限り帰省したり、電話したり、おじいちゃんがクラシックのC Dを聴くのにハマっていたから、代わりにネットで注文したり、手紙を書いたり、誕生日や敬老の日を祝ったり、自分ができることを少しずつしていた。

そして祖父は急に亡くなった。

祖父が亡くなって、もちろんもう2度と会えないのだと悲しい気持ちもあるが、自己満足かもしれないが、今年は自分のやれることを精一杯やってきたという自負があったから、年齢も年齢だし、いい人生だったね、と受け止めることができる気がする。

もちろん、たくさんお世話になった分、もっとやってあげたかったことがあったから、後悔がないと言えば嘘になるが、気づかず、何も返せない中で、祖父が亡くなってしまったとしたら、私は今よりももっと後悔していたと思う。

だからこれからも、親や祖母がずっと生きているなんて思わず、思ったことはすぐに伝える、力になれる時に力になることを心がけようと思った。

そして、気づかずにもし後悔したとしても、それを胸にこれから気を付けていけばいいのだと思う。

歯は大切だということ

祖父は、歯がなかった。

亡くなった時初めて顔を見て、本当に歯がないんだな〜と思ってしまうくらい歯がなかった。

歯がなければ、食べ物が思ったように食べられず、体調を崩した時に、衰弱しやすい。

また、私は食べることが大好きだ。

歯がなければ、美味しく食べ物を食べれない。

そう考えると、歯はとても大切だと思った。

しっかり、ケアをして行かねばとおもった。

最後のお見送りにもお金がかかるのだということ

いやらしい話かもしれないが、お葬式にもお金がかかる。

今回の家族葬でも50万ほどかかっていた。

その他にもいろいろお金がかかるということがわかった。

誰もが最後は死ぬ。

その時のためのお金を用意しておかなくてはいけないのだなと思った。

家族の大切さ

私は、最悪結婚せずに1人でも生きていけると思っていた。

しかし祖父の棺を閉める時に、ふと思ったのが、家族って大切だなということだ。

順番で言えば、親を見送る立場になるだろう。

親を見送る時に1人の自分を想像した。

悲しすぎる。

おばあちゃんも、お母さんも、血の繋がった身内がなくなるのはとても辛いことだ。

だけど、長年連れ添った旦那が亡くなったおばあちゃんには、娘(お母さん)、娘の旦那(お父さん)、孫(私と妹)がいて、お父さんが亡くなったお母さんには、旦那(お父さん)と娘(私と妹)がいるから、支え合いながら生きていけるのではないかと思った。

これは私の考えだから、共感して欲しいとかではないけども、人はいつか死ぬ。

それを見送る時に支え合える家族の存在は大きいのではないかと感じた。

生きてきて初めて結婚して、子供が欲しいと思った。